はじめに
品質や食品安全を守るために、ルールや規程、そして手順書を整備されていると思います。食品産業に携わる人々にとって、それらは安全な製品を消費者に届けるための基盤です。しかし現場を注意深く見ると、ルールが必ずしも守られていない場面にしばしば遭遇します。これを単に「意識が低いから」と片づけることができず、その背後には「なぜ守られなかったのか」という理由が存在すると思います。
工場や製造現場にはルールがありますが、形骸化していたり、現場にそぐわなかったりすることで、かえって守られにくい状況が生まれます。その結果、品質トラブルや食品安全上の問題を引き起こすこともあります。筆者は食品企業において工場、原料サプライヤー、製造委託先などで多くのトラブル対応を経験してきましたが、「ルールがあるのに守られない」現象には必ず理由があると痛感しています。守る意思がある人でも、ルールの曖昧さや制度設計の不備によって結果的に逸脱してしまうことは少なくありません。
本稿では、そうした事例を四つの観点から整理し、単なる「ヒューマンエラー」ではなく、ルールの設計や運用に潜む課題を考察します。取り上げるのは「そもそも守る気がない」ケースではなく、「守る意思はあるのに守れなかった」場合です。そこにこそ繰り返し発生するトラブルの本質的な原因が潜んでおり、食品企業の品質保証を強化するための重要な示唆があります。この課題は「食品安全文化の醸成」1,2) だけで解決できるものではありません。文化の涵養は大切ですが、それだけに依存しては不十分であり、現実に即したルール設計と仕組みの改善を並行して進める視点が求められます。
1.ルールが不明確・曖昧である
手順書や規程の文言が抽象的であると、解釈が人によって異なる場合があります。その結果、本人は「守っているつもり」であっても、実際には「守られていない」と評価されるというギャップが生じます。こうした状況はしばしば「ヒューマンエラー」として片付けられますが、実際にはルールが不明確で曖昧であるために解釈の余地が生まれているのではないか、確認する必要があります。特に非定常な状況では作業が通常のルールに適合しないことがあり、そのたびに現場では異なる判断が行われ、結果としてルールが形骸化してしまうのです。
文言を具体的かつ一義的に記載し、可能であれば例外時の対応も明示して、誰が読んでも同じ行動がとれるようなルール設計にすることが求められます。
2.現場の実情に合っていない
机上で作られたルールは、必ずしも現場の作業環境や人員体制に適しているとは限りません。現実から乖離したルールは形骸化しやすく、現場にとっては「守られないもの」と認識されてしまいます。例えば、ある原料サプライヤーの製造エリアでは備品や工具が所定の置場に整頓されず、タンクなどに無造作に置かれていました。置場自体は存在していましたが、作業動線から遠く、収納が手間であったため、結果として形だけのルールとなっていたのです。このため、置場を変更するよう依頼しました。
また別のサプライヤーでは、葉物野菜の表面を流水でブラシ洗浄する工程がありましたが、冬場の冷水使用により作業員が十分に洗浄できず、品質トラブルが発生しました。水が冷たいために、流水でブラシ洗浄するというルールを守ろうと思ってもできなかったのです。さらに、ある製造工程では、品質を確保するために必要な「停止ボタン」を押さずに作業が続けられ、不良品が大量に廃棄される事態が生じました。製造現場で確認をすると、そのボタンが押しにくい位置に設置されており、作業員が日常的に強いストレスを感じていたことが判明しました。無理な姿勢を強いられる作業では、必然的に手順が省略されやすくなり、ルールが守られなくなるのです。筆者はこのような経験から、作業者が無理なく行動できる環境を整えることこそトラブル防止につながると強く認識しました。人間工学的なアプローチが品質トラブル防止の参考になりました3)。
改善の方向性としては、現場の動線や作業環境に即してルールを再設計し、人が自然に守れるように仕組みを整えることが不可欠です。
3.ルールと目的が共有されていない
ルールが「なぜ必要なのか」を理解されないまま導入されると、現場の作業者にとっては単なる「意味のわからない負担」と映ります。その結果、優先度が低く見なされ、遵守が後回しにされるのです。例えば、ある製造委託先では調味液を30分間ブレンドする工程で、作業員が1分ごとに時間と液の状態を記録するルールがありました。しかし実際には、30分経過後にまとめて記録する運用が行われていました。1分ごとの記録に実効性がなく、管理者が現場を十分に確認せずに策定したルールだったためです。
また別の工程では、製品の切り替えが1日に複数回行われ、アレルゲン原料の使用に応じて洗浄方法を変える必要がありました。適切な洗浄を行うには、使用原料の正確な情報が不可欠です。ところが、新製品の導入や改訂時に原料情報が製造現場へ正しく伝達されず、その結果、洗浄不足によるアレルゲンのコンタミネーションが発生しました。これは、ルールの背後にある目的、すなわち、アレルゲンは健康被害につながるため、「アレルゲンのコンタミネーションを防ぐ」という根本の意図が現場に十分に共有されていなかった典型例といえます。
このような場合には、ルールの背景にある目的やリスクを現場と共有し、作業者自身がその意義を理解できるよう教育や説明を徹底することが改善の鍵となります。
4.作業者のキャパシティーを超えている
人間は状況によって「質」と「効率性」のどちらかを選ばなければならないとき、効率性を優先する傾向があります(ETTOの原理)4)。現場が忙しく混み合っていると、まとめ作業や並行作業が行われやすくなります。例えば、複数の同じようなブレンドタンクが並ぶ工程で、タンクごとに投入原料が手前に並んでいる場合、本来投入すべきタンクを取り違えて別のタンクに原料を入れてしまうといったミスが起こり得ます。こうした状況は、作業者が悪意を持ってルールを破ったわけではなく、単に負荷がキャパシティーを超えていたことによるものであり、現場に潜むリスクとして常に認識すべき事象なのです。
したがって改善策としては、作業負荷を適切に分散させ、繁忙時でも無理なくルールが守れるように工程設計や人員配置を見直すことが必要です。
最後に
ルールが守られない背景には、現場の作業者の「気持ち」や「意識」の問題ではなく、実はルールそのものの設計や運用に課題が潜んでいることがあります。どれほど真面目に働く人であっても、ルール自体が曖昧であったり、現場の実情に即していなかったりすれば、結果的に守られない状況が生まれてしまうのです。単に「もっと意識を高めよ」といった精神論に終始するのではなく、なぜ守られないのかという原因を仕組みの側に求め、改善していく姿勢が欠かせません。
重要なのは、ルールが机上の理屈で終わるのではなく、現場の現実に即して設計され、その目的が誰にでも理解され、さらに日々の運用の中で不断に改善され続ける仕組みを備えることです。そのように「現場に根差したルール」であればこそ、形だけの規則から脱却し、実効性を伴ったルールとして機能します。言い換えれば、ルールは存在すること自体に意味があるのではなく、「守られるもの」として生きている状態にしてこそ、初めて品質と食品安全を守る力を発揮するのです。
出典
- Yiannas, F. (2008)、Food safety culture: creating a behavior-based food safety management system、Food Microbiology and Food Safety、Springer。
- 松本隆志(2024)、「食品製造者における食品安全文化の醸成と品質保証の強化」、日本食品科学工学会誌、71(11)、427-440。
- 中田亨、ヒューマンエラーを防ぐ知恵 増補版: ミスはなくなるか、DOJIN文庫。
- Hollnagel E(著)/小松原明哲(訳)、ヒューマンファクターと事故防止, 海文堂出版, 東京, 159-195、 2006。
執筆者
松本 隆志 先生
松本隆志氏 略歴
京都大学農学部食品工学科卒業。博士(農学)。
株式会社中埜酢店(現Mizkan)を経て、味の素株式会社にて食品研究所品質評価・解析グループ長、品質保証部部長(食品事業担当)、川崎工場品質保証部長、タイ味の素品質保証部長を歴任。2018年10月から東京海洋大学 学術研究院 食品生産科学部門教授
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