東京海洋大学 松本隆志先生コラム 現場が変わる!食品品質保証の最新動向と成功のヒント(第3回)

HACCPシステムを形骸化させないための工夫

はじめに

工場の監査や認証の更新審査を控えると、日常にはない“そのための準備”をすることはありませんか。もしそのような状況がみられるなら、HACCPをはじめとして導入しているシステムが本来の目的どおりに機能しておらず、形骸化が始まっている可能性があります。

2021年6月にHACCPシステムの制度化が施行されて、食品事業者は原則として「HACCPに基づく衛生管理」を実施することが義務化されました。また、国際的にはFSSC 22000、JFS-C、SQFなど、GFSI(Global Food Safety Initiative:世界食品安全イニシアチブ)承認認証規格によってHACCPを運用している企業も増加しています。制度対応や認証取得が広がる一方で、それ自体が目的化すると、書類や記録は整っていても異物混入や微生物汚染などの品質クレームやトラブルが減らないなど、食品安全の実効性に結びつかない例が少なくありません。筆者は食品メーカーで品質保証に携わり、HACCPやマネジメントシステムが導入されているにもかかわらず、トラブル件数がなかなか減らない、改善活動が停滞する、現場に“やらされ感”が広がるなど、多様な形骸化のパターンを実際にみてきました。一方で、形式的には淡々と運用されているように見えても、現場主体で改善が進む工場も経験してきました。この違いは何から生まれるのか――。その問いを整理するために、本稿では筆者の経験と研究を基に、いくつかの形骸化のパターンを示し、対策の方向性を考えていきたいと思います。

ここで取り上げる視点は、HACCPに特有のものではありません。品質マネジメントシステム、食品安全マネジメントシステムなど、「仕組みをつくり、運用し、改善する」あらゆるシステムに共通して応用できると考えています。制度化や認証取得が進んだ現在だからこそ、形骸化をいかに防ぎ、システムを実効性のある仕組みとして維持するかが重要です。本稿では、まずHACCPやマネジメントシステムに共通する形骸化のパターンを整理し、次にHACCPを中心に据えながら、形骸化を防ぐための実践的な工夫について述べていきます1)

形骸化のパターン

仕組みが導入されていても食品安全レベルが向上しない、あるいは日常運用が停滞する「形骸化」は、さまざまな形で発生します。形骸化といっても原因や状態は一様ではなく、筆者が考え得る内容を以下の4つのパターンに整理します。

1. 制度・認証対応が目的化し、成果につながらない「形式的・効果不在型」

HACCP制度対応や、FSSC 22000・JFS-C・SQFなどの認証取得が目的化することで発生する形骸化です。書類や記録は整い、審査も問題なく通過しますが、実際には異物混入や微生物汚染などの品質トラブルが減らず、品質保証の向上につながっていません。監査要件には適合しているものの、管理の本質が工程に定着しておらず、「認証は取れているのに成果がみえない」という矛盾が生じる状態です。審査直前だけ記録が整っている、記録のための記録が存在するなど、HACCPが形式を満たすための作業になってしまう典型的なパターンだと思います。

2. 導入後の見直しが止まる「停滞型」

HACCPプランは作成したものの、原材料の変更、製品改訂・新製品導入、製造工程や作業手順の変更があっても更新されず、文書と現場の実態に乖離が生じる状態です。見た目には運用されているように見えても、内容が現場の変化に追いついていないため、本質が失われていきます。

3. 現場負担が増えてやらされ感が生じる「抵抗型」

目的を失ったチェックや不要な記録が増え、作業者にとってHACCPが「負担だけが増える仕組み」になってしまうケースです。記録が義務化される一方で背景や目的の説明が不足していると、作業者は改善に主体的に取り組む姿勢を失い、異常に気づいても声が上がらない環境を生み出します。

4. 習慣化して当たり前になり、意義が語られなくなる「惰性型」

清掃、手洗い、クロスコンタミ防止などが長年の運用で定着し、もはや“当たり前”として行われる状態は、本来は成熟の証ともいえます。しかし、これらの行動の意味や背景が語られなくなると、新人教育での意義説明が省略され、世代交代とともに徐々にレベルが低下し、最終的には本当の形骸化へ転じる危険があります。良い状態と悪い状態が紙一重である点が、このパターンの特徴です。

以上のように、形骸化には複数のパターンがあり、単に“管理が弱い”という一言では説明できません。むしろ、制度化・認証取得が進んだ今こそ、これらのパターンを認識し、自社がどの状態にあるのかを把握することが、HACCPシステムの有効性を高める第一歩となります。

形骸化を防ぎ、システムを有効に機能させるための視点

前述した4つの形骸化のパターンを踏まえると、HACCPの形骸化は「担当者の努力不足」や「管理意識の低さ」だけで説明できるものではなく、システム自体の設計・運用プロセスに起因するものです。この領域では食品安全文化の醸成が語られることがありますが2)、本稿ではそれに依存するのではなく、より具体的な運用の視点から形骸化を防ぐ方法を整理します。食品安全文化は確かにシステムの支えになる要素ですが、万能ではありません。また、文化活動が目的化すると別の形骸化を生む危険もあります。適度な位置づけとして、異常を報告しやすい環境と作業の背景理解を促す教育の2点を押さえることは有効ですが、それ以上にシステムの設計と日常運用の確実性が重要であるという前提で、以下の内容を整理しました。

1. 導入目的を明確化し、現場と共有する(パターン1・4に対応)

HACCPが「審査対応」「書類づくり」に陥る最大の原因は、導入目的が現場に正しく伝わっていないことです。「異物混入トラブル数の削減」「工程の安定化」など、組織として何を達成したいのかを明確に示すことで、HACCPが“形式ではなく成果のための仕組み”へと位置付けられます。

2. 計画を“動かし続ける”運用と変更管理の徹底(パターン2に対応)

HACCPプランは完成形ではなく、日常の運用を通じて育てていくべきものです。筆者の経験でも、国内外の工場でHACCPを継続的に活用することで、効果が実感できるまでに約3年を要しました。HACCPの7原則12手順のうち、検証に関する手順11(原則6)の認識を強化し、原材料の変更、製品改訂、新製品導入、設備や作業手順の変更などが発生した際には、適切にレビューを行うことが不可欠です。さらに、トラブルが発生した際には、その都度、危害分析そのものを見直すことが効果的です。工程の変化や現場で得られた気づきをそのままHACCPプランの改善に反映できるため、形骸化を防ぐうえで大きな効果があります。これらの見直しを確実に行うためには、変更管理を適切に機能させることが前提となります。どのレベルの変更で、誰が、何を確認し、どの文書を更新するのかを明確にすることで、文書と実態の乖離を最小限に抑えられます。変更頻度が高い食品工場においては特に重要で、HACCPが“計画して終わり”の静的な仕組みになることを防ぐための鍵となります。

3. PRP(一般衛生管理)の重要性の再認識(パターン3・4に対応)

形骸化が抵抗型や惰性型で現れやすいのは、PRPが軽視されやすい領域だからです。PRPが脆弱化する原因の多くは、項目が多すぎるチェック、意義の説明が不足した教育、点検レベルのばらつきといった運用面にあると思います。HACCPシステムにおいては、PRPが適切に管理されていることが前提となって初めてCCPが設定されるため、PRPの崩れはCCPの成立基盤そのものを揺るがします。CCPは重要であることが共通認識として理解されている一方で、PRPの重要性に対する認識は甘くなりがちで、その弱体化が重大な品質トラブルにつながる危険があります。そのため、PRPを確実に維持するためには日常の運用改善が有効です。PRPは軽視されやすい領域だからこそ、意義を再確認し、実態に即した運用レベルを継続的に整えることが、形骸化を防ぎ、HACCPシステム全体を安定的に機能させるための鍵となります。

4. 記録は“目的に応じて適正化”して設計する(パターン1・3に対応)

記録が過剰になると、“記入すること”が目的化し、実態確認が十分に行われなくなります。一方で、記録を安易に削減すると必要な管理情報が得られず、リスクを見逃す可能性があります。そのため、記録は管理目的に応じて“適正な範囲に整える”ことが重要です。記録の設計や見直しにおいては、

・「何を確認したいのか?」(目的の明確化)

・「後から工程状態を再現できるか?」(妥当性の確保)

という2点を基準に検討することで、必要な情報は確保しつつ、記録のための記録を避けることができます。適正化された記録は、現場の負担を減らすだけでなく、異常に気づきやすい環境をつくり、HACCPの実効性を支える基盤となります。

5. 外部データ(リコール・事故動向)をハザード分析に活用する(パターン1・2に対応)

「認証は通るのに事故は減らない」という状況を避けるためには、内部の分析だけでは不十分な場合があります。包装工程由来のリコールが多い、アレルゲン誤表示が継続しているなど、外部データから得られる視点をHACCPプランに反映することで、現実的で効果的なハザード分析となります3)

おわりに

HACCPシステムが形骸化する背景には、制度対応の目的化、運用の停滞、記録の負担増、変更管理の不徹底など、さまざまな要因が複合的に存在します。本稿で整理した4つの形骸化パターンは、単にHACCPに限らず、品質・食品安全などのマネジメントシステムにも共通して見られる構造です。したがって、形骸化を防ぐための取り組みもまた、特別なものではなく、日常の業務に即した運用の見直しにほかなりません。重要なのは、仕組みの“形式”を整えることではなく、現場の変化に合わせて仕組みを適切に更新し、実際の工程管理につなげていくことです。
目的の共有、PRPの確実な実施、変更管理の徹底、記録の最適化、外部データの活用といった運用が継続されれば、HACCPは過度な負担ではなく、工程の安定と事故防止に貢献する“使えるシステム”となります。制度化や認証取得が当たり前となった今こそ、形骸化の兆しを丁寧に見極め、自社にとって本当に意味のあるHACCP運用を築くことが求められています。本稿が、食品安全と品質保証の実務に携わる皆さまにとって、日常の運用を見直す一助となれば幸いです。

出典
  1. 松本隆志(2022)、「食品製造現場におけるHACCP導入の効果と検証」、月刊フードケミカル、2022年12月号 (452)、P.10-13。
  2. 松本隆志(2024)、「食品製造者における食品安全文化の醸成と品質保証の強化」、日本食品科学工学会誌、71(11)、P.427-440。
  3. 松本隆志(2022)、「2015年から2021年の食品リコールの解析―食品表示関連のリコール防止に関する考察―」、新PL研究第7号、P.25-33。

執筆者

松本 隆志 先生

東京海洋大学 学術研究院 食品生産学科部門教授

松本隆志氏 略歴
京都大学農学部食品工学科卒業。博士(農学)。
株式会社中埜酢店(現Mizkan)を経て、味の素株式会社にて食品研究所品質評価・解析グループ長、品質保証部部長(食品事業担当)、川崎工場品質保証部長、タイ味の素品質保証部長を歴任。2018年10月から東京海洋大学 学術研究院 食品生産科学部門教授