Home » 学術・技術情報 » 松本先生コラム トップページ » 2024年 松本先生コラム第3回
東京海洋大学 学術研究員
食品生産学科部門教授
DX(デジタルトランスフォーメーション)は、経済産業省によって次のように定義されています1)。「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズに基づき、製品やサービス、ビジネスモデルを変革すること。また、業務、組織、プロセス、企業文化・風土も変革し、競争上の優位性を確立すること。」 この定義により、従来のアナログ業務を電子的なデータや情報に置き換えるIT化がDXの手段である一方、DX自体は目的とされます。
産業界全般でDXが進展しており、食品産業もその例外ではないことから、本コラムでは食品企業の品質保証・品質管理に関わるDXに焦点を当てます。
品質保証・品質管理の業務はフードサプライチェーン全体に関わり、社外では原料サプライヤーから顧客まで、社内では様々な部署が関与します。このコラムではフードサプライチェーンを考慮し、DXを進める三つの主要な側面に焦点を当てます。
第一の側面は、商品情報の管理におけるDXです。商品情報総合システムMercurius®(JFE システムズ社製)が広く利用されており、企業ごとにカスタマイズされるこのシステムは、原料やレシピ情報から製品の表示に至るまでを効率的に管理します2)。特に、食品表示法違反が食品リコールの約6割を占める現状を踏まえると、表示ミスの防止は法律違反を避ける上で重要です3)。このシステムを用いて、原料サプライヤーからの品質情報を一元管理し、表示や規格書の作成を効率化します。
第二の側面は、品質管理結果のDXにおけるデータマネジメントの強化です。このアプローチでは、製造工程や出荷における各種検査結果をデジタルデータとしてPCで一元管理し、情報への即時アクセスを可能にします。このデータマネジメントシステムにより、データの整合性とアクセスの効率が大幅に向上します。システムの設計によって、データの改ざんを防止することができ、また万が一の品質クレームやトラブルが発生した際にも、迅速かつ正確に対応することができます。詳細なデータがすぐに参照可能であるため、原因の究明や対応策の立案においても大いに役立ちます。
第三の側面は、製品が製造・出荷され、顧客に届くまでのトレーサビリティのためのDXです。拙著4) の大手食品メーカーに対する品質保証に関する調査により、製品出荷後のトレーサビリティに課題があることが明らかになっています。
その課題を解決するためのいくつかの技術があります。ブロックチェーンは、その非改ざん性により、製品の製造から消費者の手に渡るまでの全工程を透明に記録する理想的なツールです。この技術を活用することで、製品の安全性が向上し、消費者や規制当局がいつでも情報にアクセスできるようになります。
また、製品に関連するすべてのデータがQRコードを通じて消費者に提供され、消費者は自身のスマートフォンで簡単に製品情報を確認できるようになります。RFID(Radio Frequency Identification)は、電波を使って、ICタグの情報を非接触で読み書きする自動認識技術です。この技術を原材料や製品に適用することにより、製品の製造から流通までの各段階をリアルタイムで追跡し、データベースに自動的に情報をアップデートすることが可能です。
これらの技術を融合させることで、食品産業における品質保証・品質管理のプロセスは大きく変革され、製品の安全性と品質の保証だけでなく、業務の効率化も実現されます。ブロックチェーン、QRコード、RFIDの先進技術を駆使したDXは、業界の新たな標準を確立し、消費者の信頼をさらに深めることに寄与すると考えます。
食品産業におけるDXは多くの利点を持つ一方で、その実施にあたってはいくつかの課題と問題点が存在します。
第一に、高い初期投資が必要であることが挙げられます。DXを実現するためには、適切なITインフラの構築が必須であり、これには相応のコストが伴います。企業の規模によって、この初期投資が大きな負担となる場合があります。
第二に、データのセキュリティとプライバシーの問題です。品質管理やトレーサビリティに関するデータは非常に敏感な情報を含んでおり、これらが外部に漏れることは企業の信用問題に直結します。そのため、データを安全に保管し、適切に管理するためのシステムとプロトコル(約束事や手順)の確立が必要です。しかし、これを完璧に行うことは容易ではなく、専門的知識を要するため、人材の確保もまた課題となります。
第三に、既存の業務プロセスとの整合性の問題があります。多くの食品企業では、長年にわたり蓄積された業務プロセスが存在しており、これらをデジタル化する際には、大規模な業務改革が必要となります。既存のプロセスと新しいデジタルシステムとの間での整合を取ることは、時間と労力を要する作業です。
最後に、デジタルスキルの不足が挙げられます。DXを進める上で最も重要なのは、それを運用する人材の存在です。しかし、現在の食品産業においては、デジタル技術に精通した人材が不足しているという現状があります。このスキルギャップを埋めるためには、教育と訓練が不可欠であり、そのためのさらなる投資が求められます。
以上のように、食品企業における品質保証・品質管理のDXは、その実施にあたって多くの課題をはらんでいます。
しかし、これらの課題に対処し、適切に解決することができれば、食品の安全と品質の向上、業務の効率化を実現し、最終的には消費者の信頼を得ることができます。企業は、DXを一時的なトレンドと捉えるのではなく、長期的な視点を持って取り組む必要があります。
また、行政や業界団体が支援を行い、技術的なハードルやコストの問題を解決するための枠組みを整備することも重要であると考えます。DXの進展は、これからの食品産業全体の持続可能な発展を考える上で避けて通れない道であり、その機会をしっかりと捉えることが求められていると思います。
出典
1) 経済産業省, デジタルコードガバナンス・コード2.0、
https://www.meti.go.jp /policy /it_policy /investment /dgc /dgc2.pdf( 最終閲覧日 2024年4月30日)。
2) JFE システムズ株式会社、MerQurius、
https://www.merqurius.jp/( 最終閲覧日 2024年4月30日)。
3) 松本隆志 (2022)、「2015年から2021年の食品リコールの解析―食品表示関連のリコール防止に関する考察―」『新PL 研究』、7、p.25-37。
4) 松本隆志 (2022)、「食品製造者における品質保証に関する実態調査-HACCP 制度化後に取り組むべき品質保証に関する考察-」『日本食品科学工学会誌』69(9)、p.431-442。